綴る

答えあわせ

篠原紙工のウェブサイトで制作背景を紹介している『石』『聲』 は 先週から私がお邪魔している 庭文庫 の店主 百瀬さんご夫妻が立ち上げた「あさやけ出版」 から出ている本です。

私が篠原紙工のウェブサイト上にこの詩集の制作背景を紹介する文章を書くため、装丁デザインを担当した社員の 新島 から話を聞いたときに印象に残った言葉が、百瀬さんの「朝やけを見ると世界に祝福されている気がする。」 という言葉でした。

実際に庭文庫に来て、縁側の窓を開け木曽川とそびえる山々の風景を眺めていると、「世界に祝福されている気がする」という言葉が出てくる感覚が少しだけ、私の中でもぼんやり出てきた気がします。朝焼けの風景は実際に見れていないけれど、雪降る日、太陽が沈む時、所々のシーンを眺めてると、一瞬全ての意識が風景に吸い込まれる感じがするときがあります。そして、なにか大きなものからの受容と許しを受けるような。

『石』『聲』の制作背景を聞きながら、文章に落としている時、正直なところ、何かぐーっと重たさを感じたのを覚えています。行ったこともない土地のこと、まだ会ったこともない人たちのやり取りを聞き出して想像と感覚で表向きには文章にしましたが。なんかもっと伝えきれないことが実はあって、それは制作の背景なのか、詩の内容なのか、庭文庫なのかはわからなかったのですが、ただならぬぐっと引っ張られるエネルギーがあるのは感じてました。

重さを感じ取ることが私の性分として嫌いではない、というか、必要なことで。じっくりと、どっしりと、深く、強く、じわじわと揺さぶる、暗闇の時もあれば、濃いグレーの中だったり、重みがないと見えないもの、感じられないものってたくさんあると思う。腰据えて、地に足をつけて重みを十分に感じきる。庭文庫にいて、自然が連なる景色を見て、あの文章を書いていた時に感じたものが何だったのかを答え合わせしている感じがします。でも、どんなに想像力があっても、話を引き出す能力があっても、実際に体験しないと物事はわからない。

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