綴る

エシカルなこと

エシカル=倫理的な、という直訳でよく聞く単語です。消費社会においては、働く人や(その環境)、そして自然環境、地産地消など、より全体のことを考えた消費生活、と私は理解しています。

本を作る時、断裁のミス、印刷の色具合やズレなど様々な理由でどうしても本番には使えない紙が出てきます。それを私たちは「ヤレ」とか「ヤレガミ(紙)」とよんでいます。篠原紙工に入って最初に耳にした専門用語といってもいいくらい、頻繁によく聞く単語です。ヤレ紙はリサイクルに出すシステムにはなっていますが、リサイクルに出す前にそのヤレ紙や本を作るまでに出た残紙(ざんし)を使って何か作れないか?というご相談はたくさんあります。実案件として動くのももちろんあれば、話し合いは盛り上がったけれど、実際にやるのは難しいことなども多々あります。

環境を配慮した上で何かを作る、という考え方はとても素敵です。ただ、その商品を作るために必要以上に機械を動かす、再び紙を購入し新たに手を加える、またそこでいくらかの残紙が出てしまう。なかなか究極のところ、全ての点において完璧なエコロジーな商品を作るのはやはり難しいのではないか?というのが私個人の考えでもあります。美しさ、便利さ、全てが完璧なものに囲まれて生きているとそれが当たり前で、不便だったり、見た目にダサかったりするものは受け入れ難くなってしまうのもわかります。ただ、印刷されたヤレ紙を何かに生かすのであれば、どこかは不便さ、不完全さをも受け入れるという考え方を前提に、大きく物事を捉える必要もあるのではないかと。


メモ用紙は真っさらな紙でなければならない、という前提を壊してみる。ちょっとしたメモは何かが印刷されていてもペンが太ければそれはそれでOKなのではないか?1度何かに使った紙をもう一度梱包資材として使う、物を守るために用が足りていればなんら問題はないはず。でも、私たちは貧相にみられることを恐れたり、使い回しなんて相手に失礼と気遣いしたり…どれも間違ってはないけれど、エコロジーの観点でいうと私たちが今まで良かれと思ってやっていることは、残念ながらあまり喜ばしいことでなないことがたっくさんあります。

そんなことをずっと頭の隅に置きながら、小さな葛藤を抱えながらも篠原紙工で生きておりますが、今日、篠原紙工でまさにヤレ紙を使って何かを作りたい、という相談で来てくださった方々はなんだか私が出会った中ではちょっと違う方々のように感じました。足すのではなく、既にあるもので作り上げる。その中で何ができるか?そんな考えがすでに大きな前提としてお話をされているように感じました。お話ししていて、不思議と「大らかさ」を感じるとても素敵な方々でした。「大らかさ」これからを生きる重要なキーワードな気もします。

商品の見た目の美しさ、機能美、いろんな美しさがこの世にはありますが、物でもなんでも「使い切る美しさ」というのもあるように思います。これは目に見えることではなく、使いこなす側の話になってくるかもしれませんが。無駄を出さない、出たとしたらその物に他の役目を与えて使い切る。多少の不完全さを楽く使いこなす。このスタイルが世の中全体に広まるのはまだ先だとしても、自分の半径数メートル圏内での生活ではこの考え方を取り入れたライフスタイルを実行したいものです。

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