綴る

カレンダー


先日、東京の大きな書店に立ち寄ったところ、カレンダーコーナーができていて、ちょっと覗いたのですが、改めて観察するとあまりの数の多さに驚き。花や風景、動物、月、イラスト、美術画、有名人、様々。カレンダーを購入する人の気持ちが知りたくなったりもした。どこに置いて、どんな風に活用しているのか。

私の話でお恥ずかしいのですが、私の育った家ではタクシー会社からもらっていたという、いわゆる典型的な、おそらく昔からあるカレンダーがキッチンにありました。朱色と黒で大きく文字が印刷され、1日のスペースがわりと大きく、暦や祭事も小さく記している昭和を感じるやつ。
それは父が予定を書き込み、母がそれを見ながら、多忙な父が今日は家に早く帰るのか、居るのかいないのか、というような確認をするもの。もう1つは朝日新聞の折り込み広告の中に月初めに入っているペラ1枚のカレンダー。それは母専用。子供の学校の予定が書かれたり、家の用事が書いてあったり。子供の私はそれを観察し、両親が書き込む姿を見つめながら、大人は忙しいんだ、と感じていたのを覚えています。

私は、誰もが見れる場所にあるカレンダーに書き込みはしません。(そもそもかカレンダーは家に置かない)誰かが来た際に予定を見られるなんてなんだか恥ずかしいし、予定が埋まって忙しさを常に感じるのもなんだか家でリラックスできないし。そのせいか?時々お邪魔した家でカレンダーに何かが書かれているのが目に入るとすぐそらしてしまいます。でも本当に忙しい人や子育てしている方はいつでも予定が目に入るようにして、頭の中でスケジュール確認しているのかもしれませんね。私の両親がかつてやっていたように。

篠原紙工では年末になるとカレンダーを様々な方からいただきます。紙にまつわる業界だからか、一般では売ってなさそうなものだったり、その会社のこだわりの技術を込めたものであったり。カレンダーを家に置かないと書きましたが、そういえば、頂いたカレンダーの山の中から1度だけ日めくりカレンダーを見つけてキッチンに置いて楽しんだ1年がありました。なかなかの迫力と存在感です、日めくりカレンダー。1枚にたくさんの豆知識が載っていて、1枚1枚が減って厚みが減っていく様子から時の流れを視覚化できるという別の役目もありました。

ここまで書いて、篠原紙工のカレンダーは?というと、作っております。
私は自社のカレンダーも使うことはなかったのですが、数年前から販売をするようになってからはちょっと話は別です。自分の意見も多少盛り込まれているため、自分が使ってみないと何も言葉にできないと思い、家に置いてカレンダーのある生活をしてみました。やはり、キッチン。これは母からの遺伝なのでしょうか。いや、思ったのは、洗い物などをしながら明日の予定を考えたり、その月全体のことを考えたりと、キッチンは手を動かす、仕事をする場所だからか置いてあってもあまり目障りにならないのだな、と自分なりの答えが出ました。

篠原紙工のカレンダーはとっても小さい。手のひらに収まる感じがちょうどいい。日と曜日だけの最小限の情報しか印刷されておらず、シンプルでサイズは小さいながらも文字は大きく、見やすい。ふとした時に目に入ってもあまり邪魔にならないのがポイントです。折りたたむと完全にフラットな状態になるのも気持ちが良い。

そして、これはセールスポイントでもなんでもないのですが、私の手の大きさにはすっぽりと収まるサイズのこのカレンダー。それを手のひらに置くと、日々が全て自分のものになる気がするのです。こういうのを「かわいい」というのでしょうか、なんだか365日という日々が自分の手のひらの上でどのように形作るのかを待ちわびてくれているかのように感じて、日々を制して自分だけのドラマを毎日作るぞ、という肯定的な気持ちになるのです。
もしご興味のある方は、ぜひ手にとってみてくださいませ。
https://s-shiko.stores.jp/



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