芝木好子小説集 新しい日々 / 特装版

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偶然に導かれた特装版

小説家・芝木好子さんの没後30年を節目に、書肆汽水域(しょしきすいいき)という個人出版社から刊行された小説集「芝木好子小説集 新しい日々」。この本は通常版と特装版があるのですが、今回は前回からの続きで特装版をつくるまでに至ったストーリーをご紹介します。

「花と女性」「色と女性」芝木さんと志村さんの共通点

芝木さんの小説集制作に声がかかった直後ぐらいの時でした。新島は染織家で随筆家でもある志村ふくみさんの、「一色一生」という随筆集に出会いました。友人の薦めで偶然手にとったその本を、私用で京都に向かう新幹線の中で読み始め、人生をかけて「色」と向き合ってきた人にしか到底語ることのできない言葉に、たちまち引き込まれたと言います。「志村さんが語る『色』は植物の生命(いのち)をもらって作られるものであって、だからこそ、その色には生命を感じさせられるものでなくてはならない、その文章を読んで、志村さんからは『色という生き物』ときちんと向き合っている姿が感じられました」と新島は話します。そして、「ちょうど芝木さんの作品を読んでいた時だったので、志村さんの本の中で表現されていた、つぼみのひらきかかった少女の色、生きる智慧を持った女の赤、しんなり苦労した人妻の色、など、色と女性の姿を重ね合わせていることと、芝木さんと志村さんの作品性に、なんらかの強い繋がりを感じました」。芝木さんの作品集では白百合、梅、白萩、薔薇、菖蒲、都忘れ、などの花々が登場し、芝木さんも花と女性を重ね合わせて表現しています。

ギャラリーアトリエシムラとの出会い

新島は彼自身が直感的に感じたこの共通点から、草木染めの「色」を使って、女性の一生を感じられるような本を作ることはできないか、と思い立ちました。新幹線の中ですぐさま志村ふくみさんについて調べると、驚いたことに志村さんの染織に対する哲学を継承するアトリエシムラというギャラリーが京都にあることを知り、その足でお店を訪ねました。店頭に立つはつらつとした女性に、志村さんの文章に心打たれてお店を訪ねた経緯を伝えると、草木染めのことや、染めた糸を機織機(はたおりき)で織り上げる、尊い手仕事について詳しく紹介してくださいました。その色の深み、糸が織りなす色の重なりや、向こう側が透けて見えるほどの薄く柔らかな織物は、ずっと眺め触れていたくなるような、心を潤すような美しさでした。造本家の新島としては、この素材を使って本を作りたいという興奮が全身を通して湧いてきたのですが、このような手仕事で作られる貴重な織物を、量産の世界において1冊あたり数千円で販売、という通常の市場で使用するには、予算的に難しく、草木染めで本を作ることはあまりにも非現実的でした。

特装版制作につながる大きなきっかけ

通常版の制作も順調に進み、終盤にさしかかった時のこと、新島はそれでもこの本を作る上でまだ何か他にできることはないだろうか? 芝木さんの世界観をもっと知ることで何かヒントがあるかもしれない、と思いながら「折々の旅」という芝木さんのエッセイ集を読んでいました。ページをめくっていると、芝木さんが京都の嵯峨にいる織物作家の工房を訪れるというエピソードに目が止まりました。その瞬間に感じたのです。「あれ…?これは…もしかして、志村ふくみさんのことでは…?」文中に実名は書かれていませんでしたが、芝木さんと志村さんは戦前から同じ時代を生き抜いています。その2人が繋がっていたとしても何ら不思議ではありません。新島はいてもたってもいられなくなり、名刺を交換していたアトリエシムラの方にメールで伺ってみると、それはまさしく志村ふくみさんのことであり、2人の間に親交があったこと、芝木さんの「群青の湖」という作品の表紙に志村さんの作品が使われていたことが判明しました。

「やっぱり今回も点と点が繋がった」この言葉がやってきました。誰かの「本を作りたい」という願い、もしくは、新島自身が「この言葉を本にしたい」という出発点から新島の本制作は始まります。その際に、相手の内部にある感性や感覚を自分の中で一度落としこみ、紙という素材を使って本を仕上げていきます。お互いに意見を交わし合い、本作りに没頭していると、不思議なことに何か点と点がつながるような出来事が今までも頻繁にありました。今回の芝木さんと志村さんの繋がりも、偶然なのか、それとも必然なのか、まるで何かに導かれるような展開でした。そのことから、どうしてもこの本の特装版を作りたいと奮い立ち、北田さんとアトリエシムラの方々に自分の想いと制作の提案をし、この特装版が誕生することになったのです。

本をつくり続ける僕の理由

志村さんは蘇芳(すおう)という植物で染めた赤を、「女のしんの色」と表現しています。少女、聖女、娼婦、様々な性質。言い換えれば「深い女の情」を持ち得た色であると。特装版には、その蘇芳で染めた奥行きのある様々な色が絡み合った赤い糸を使い、織り上げた織物を表紙の全面に用いています。特装版は新島の手によって1冊ずつ手製本され、裂の退色を防ぐために蓋のある夫婦箱におさめています。

新島は今回の案件でいつもよりも深く自分の言葉で本という存在について語っていました。「今、本を取り巻く環境は厳しくて、これまで紙の本が担っていた役目が徐々に変化していることは日々感じるけれど、それでも紙の本にしかできないことがあると僕は信じていて、人の想いを紙に宿す、とでも表現できるかな?そして、志村さんが『色』を生命ある『生きもの』として見るように、僕も『本』を関わる人全てのエネルギーが宿った『生きもの』として向き合っていきたい。何より、本を作ることは奥深いし、世界を広げてくれる。僕が本をつくり続けることでそれを伝えていけたらいいな」

特装版の「新しい日々」は、芝木さん、北田さん、志村さん、アトリエシムラさん、新島。年齢も世代も違う人たちが出会い、点と点がつながり、生まれた本となりました。それは一寸たりともずれのない運命的なタイミングで、今思えば、まるで最初からこの本を作るために出会うのが決まっていたかのような気もします。本としての美しさや小説の内容だけではなく、こうした背景にある物語も含めて読む方々の心に奥深く響くことを心より願っています。

写真 : 馬場磨貴

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芝木好子小説集 新しい日々 特装版 / 2021
装幀 : 新島龍彦
製本ディレクター : 吉永久美子

サイズ : 
冊子 : B6変形版 
函 : W181×H242×厚み27.5mm
表紙 : アトリエシムラ特性絹織物+NSボール9号
見返 : NTラシャえんじ 四六Y 70kg
本文 : コスモエアライト 四六Y 64.5kg
函 : わたがみ雪 90kg
仕様 : 丸背上製本、函入り
頁数 : 296頁
数量 : 20部

協力会社 :
藤原印刷株式会社 / 印刷
有限会社コスモテック / 箔押し
第二本橋紙工 / 抜き
株式会社三村洋紙店 / 用紙
恩田則保 / 技術指導

担当 : 新島龍彦

担当 : 新島龍彦

今回の特装版の制作は多くの挑戦があったので、本を作る喜びと楽しさ、実現への難しさと厳しさを強く感じる制作でした。それでも、アトリエシムラさんの裂の美しさと向き合って作業をしていると、そういった苦労の全てがふっと報われるような喜びがこみ上げてきます。こうしてその美しさと関わることができて、改めて本づくりは幸福な仕事だなと感じました。

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