法术

さよなら中綴じ機

ここ最近の篠原紙工の大きな変化といえば、長年動いてくれた機械とさよならしたことでしょうか。1階にあった大きな中綴じ機。
十数年前にはCDの歌詞カードなどを量産するために大活躍してくれていたと聞いています。もちろん、今現在の篠原紙工でもその機械が居てくれたらそれなりに仕事は循環するのですが、自分たちが目指す方向性の仕事内容と、中綴じ機そのものが持つスペックに少しづつズレが出てきて、手放す決断をしました。

私が入社した時は2台もあった中綴じ機。ひとつ消え、またひとつ去り。1階は2台の断裁機のみのガラリとした空間になってしまいました。他にも手放した機械はいくつかあり、篠原紙工の制作現場はますます変わっていきます。
同じく、スタッフの入れ替わり、出会うお客さま、仕事の内容、そうした変化と絡み合いながら、社内の人々の意識にもジワジワと変化が起きている気がします。

これを書いている私は、ここ数ヶ月「綴る」の中で書くことしていませんでした。これも変化の一つなのか? 単に他にやることがあってそっちにエネルギー注いでたのか。いや、文章のネタはたくさんあったはずなのに。今までは書くことで何かしら心落ち着かせていたのですが、今はその逆で書くことが恥にしか感じられないのです。

今こうして書いているのも恥だな、なんて思うのですが、文章を書くということは私にとっては恥をさらけ出すことに近い、という感覚はずっとずっとありました。その感覚が最近になってますます強くなってきたということ。でも、頭の片隅には「綴る」の存在があって、書きたい気持ちもあるけど、恥と向き合うの億劫だな…その繰り返し。もしかしたら、もっと恥をかくための準備運動の期間?その恥の先には何が見えるのでしょうか。

篠原紙工の綴るには「変化」という言葉が何度も出てきてうんざりするくらいなのですが、そもそも自分たちが変化を求めているから起こるわけで、落ち着くことを知らない私たちなのです。

法术04