綴る

はじまりはじまり

みなさんおげんきですか。
5月は篠原紙工の誕生月。新しい47期の始まりです。どんな未来にしようかと考えることは楽しいですね。未来を想像&創造しながらも今を生きる。現実は厳しいことやキツイと感じることもありますが、それと同じくらい良いと感じることもたくさんあり、やはり最終的にはどちらに気持ちを、エネルギーをフォーカスするか、だなと思います。

大小含めいろんなことが相変わらず起こる篠原紙工で、それを無視できないのも篠原紙工。こうあってほしいと願うことと違うことが起こるとあーでもないこーでもないとブツブツ思うわけです(私が)。その度に「良し悪しをジャッジしない」という言葉が浮かび、この本質はなんだろうかと考えます。

「あ〜嫌だ」とか「あ〜残念」とか、心は暴れ馬のように揺れるわけですが、思う存分暴れた後は、嫌だと思っている自分がいる、悔しいと感じている自分がいる…のだな。そうであるというだけ。ポジティブになろうでもなく、ネガティブであることを責めるでもなく、ただそうである。ふーん、と静かに見る。どんなことがあれど、その現在地点から自分はどうありたいか、自分はどうしたいかの軸に戻り、充足に目を向けて心をニュートラルに戻していくしかない、そういうことなんじゃないか、と思ってます。

言い換えれば、大きな賞賛を得たり、褒められたりして心動く良いこともずっと握りしめない、引っ張らない。「ありがとう、嬉しいな」と素直に受け取って終わりにし、また自分に戻って進む。何事も必要以上に執着しないという感覚があると遥か身軽で自由な人生を生きれそうです。クールすぎでしょうか。感情はとても大切だけれども、情だけに溺れるととても大切な何かを見失ってしまう気がするのです。うんとうんと俯瞰して、物事を眺めるとふと根拠はないけれど大丈夫だろうという感覚が湧き出てきます。私はこの自分の感覚を大切にしています。

エミール・クーエというフランス人の「I’m getting better and better every day.(毎日あらゆる面で私はますますよくなっている)」という有名な自己暗示の言葉がありますが、おまじないと思ってこういう言葉を唱え続けるのもいい。どんなことがあっても大丈夫にできている。なんだかわからないけど最終的には大丈夫なんだ。エミール・クーエの言葉に出会うまではこんな風に言っていました。どんな言葉でも自分にしっくりくるものなら良いと思います。

篠原紙工はまじないだけで経営しているわけではありませんが、今日は書きたいように書いてみました。今期は仲間とますます濃厚に過ごせそうな予感がしてます。20代30代と若い社員が多い篠原紙工。彼らの秘めた能力が会社をどう動かすのか楽しみでなりません。


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