友の祝福

「綴る」で何度も登場しているオランダ フリースラント出身の製本家ヴィッツェがこの度、日本聖書教会150周年のレセプションで功労賞を受賞するために再び日本へ。ありがたいことに私たちも招待され、国を超えた仲間の祝の席に参列してきました。
ヴィッツェと日本との繋がりは、掘り下げれば日本人のクライアントとも仕事をしたことがあると聞いているので、割と前からあるといえますが、この4-5年の間、聖書協会さんの講壇用聖書の制作で彼と日本との関係はより深まっていったように見えます。2023年 彼にとって初めての来日は、自分が製本した聖書がどのように使われているかの視察と観光も兼ねての滞在でした。
実は、篠原紙工と彼の間には共通のクライアントがおり、初来日の時ヴィッツェはそのクライアントから「東京にいるなら篠原紙工へ行ったほうがいい。」というメッセージを受け、我々も久々にそのクライアントから電話で「オランダ人製本家が来ると思うからよろしく。」というメッセージだけもらい、本当に来るのか、なぜ日本にいるのか、一体何者なのか、前情報が無いまま、当日、本当にやってきたのがヴィッツェと聖書教会のスタッフさんでした。
今思えば、その日から全ての交友関係は始まりました。彼は篠原紙工の中を隅々まで見学し、自分のやっている製本と篠原紙工が似ていることから、話も盛り上がり、予定時間を完全にオーバーしながらも互いの仕事の話は続きました。意気投合、まるで、その日に恋に落ちた恋人同士のよう? …とでも言いましょうか。次の日は私たちが聖書教会さんのオフィスへ行き、彼の仕事(革装丁の聖書)を見せてもらいました。そこから日本とオランダお互いの国の行き来を繰り返し、の、今です。
私にとって、ヴィッツェは「エネルギッシュで勘のいい人」という印象があります。篠原紙工のことを、ここは大多数の工場と違う、というのを表面的だけでなく、会社の中身まで理解してくれてた気がしてます。つくっている本、工場やオフィスの雰囲気という目に見えるものだけでなく、我々がどんなことを大事にして会社をやっているのかを即座に理解してくれたのだと思います。それは彼自身も大事にしていることで共通点がとても多かったのでしょう。
前置きが長くなりましたが、レセプションはとても立派でした。テーブル席で食事をしている間、関わりのある世界各国の方々が次々と登壇しスピーチをされ、これまでの歩みや祝福と感謝の言葉が交わされ、私たちも聖書教会さんのこれまでの歴史やどんな方々が関わっていらっしゃるのかを知ることができる貴重な機会でした。
私たちはヴィッツェが登壇して功労賞を受けとるのを今か今かと心待ちにしていたのですが、レセプション半ばになってもそのタイミングは来る様子がありません。ということは、終盤?もしかしたら今回のレセプションの中でも特に大きなスピーチということなのかもしれない、とこちらの方が徐々に緊張してしまいました。なぜなら今回、彼は日本語でスピーチするために聖書教会のスタッフさんと共に猛練習したと聞いていましたから。
さて、終わりに近づいた頃です。ついに、司会の方が「功労賞を授与されるヴィッツェフォプマさん、なんと日本語でスピーチされるとのことです。」と紹介があり、ヴィッツェの波動が伝わってくるかのように我々も緊張もしてきました。幸い私たちのテーブル席は演壇に近く、「ここにいるよ」という合図をすると彼は即座に気づき、お互いにジェスチャーを交わしました。その際、確実にこのスピーチは素晴らしいものになると感じました。もちろん緊張はしていたでしょうが、どことなく彼のエネルギーからはうっすら余裕さえも感じたのです。
彼が話し始めた途端、場はほどよく静まり、人々の意識が彼の発する言葉に集中されるのが感じられました。ゆっくりと一つひとつ単語を丁寧に発音し、相手に届くようにと心を込めて話しているのが伝わりました。彼は自分の製本技術やパーソナリティを受け入れてくださった聖書教会さんへの感謝の気持ちはもちろんですが、もっと広く「日本」という国への愛と感謝を語っていることに、思わず涙腺がゆるんでしまいました。普段から日本への敬意と尊敬は語ってくれていたヴィッツェですが、このように改めて言葉となって伝えてもらうと、こちらとしても感謝の念を返したくなります。当たり前ですが国も文化も違えば微妙な違和感や違いは必ずあります。それらをどう受け止めて理解するかは、個人レベルでの課題で人との関係性の構築もそこからです。日本の文化に心から興味を持って理解するのと同時に関わる人、一人ひとりをよく観察して懐に入るのがとても上手な彼だからこそ、日本で大きな仕事を成し遂げることができたのだと思います。
そして、今回は彼の両親も一緒に来日し、レセプションにも参加していました。両親が今ここにいること、日本に一緒に来られたことの嬉しさをスピーチで語っている姿を見て、輝かしい親孝行の瞬間を共有させてもらった気がします。私も心からヴィッツェとフォプマ家に祝福の気持ちを伝えました。人の祝福をここまで喜べるって本当に幸せなことです。

最後に、私はこのパーティーを通して不思議な気づきがあったように思います。どの方々もとても丁寧なスピーチをされていました。ただ、テーブルで食事をしながらだったので正直なところ「聞けない、聞こえない」というのも現実でした。ヴィッツェの時は先にも書きましたが「日本語でスピーチします」という案内があったのとパーティーも終盤、という影響も大きいと思いますが、それにしても会場のエネルギーが一気に集まった感じがありました。
それはきっと、彼が聖書教会との出会いからこれまで、本当に感じた、思った、実体験から出てくる言葉だったからではないかと思います。私たちの心や魂、意識、というものは、いつでも人の心の奥底から出てくる本当の言葉には自然と反応してしまう生き物なのではないでしょうか。そして、あの場にいた全ての方々はヴィッツェの発するエネルギーを受け取れる方々の集まりだったのだと思います。だからこその最後の大きな拍手だったと。そして、私は会場が心地よく静まり返ったあの一瞬を忘れることはないと思います。