綴る

塵も積もれば次の経験に

ここ最近、若い方から「篠原紙工で仕事がしたい」との問い合わせがチラホラあります。しかも20代。どなたか影響力ある方が篠原紙工のことを宣伝してくれた…?余計な想像を膨らましています。製本会社となると印刷紙業界の中でもまた一歩マイナーな分野なのに、お声掛けいただけるのはとってもありがたいです。ありがとう。

私は社内外含め、これまでいろんな方々とお話しさせていただきましたが、遠い過去もつい最近の出来事も色々と振り返ってみると、どんな人もそれぞれ長所短所はあり、それはまた紙一重というのも本当に納得。ということは自分もそうで、他者を通して自分のことも知る次第です。それを会社運営として考えるなら、お互いにその紙一重の部分の個性をどう支え活かし合えるかが大事なポイントだなと思うのです。

人の個性って会って一瞬で感じられる部分もあれば、話し合ってみないと分からない部分もあり、大体は後者ですが。特に就職希望の面接は話してお互いを知ることが目的なので、なるべく緊張する要素を排除して自分たちは普段通りでいるようにしています。ただ、また緊張と重なって、人の内心の「焦り」という感情、気持ちはその人自身本来の良さをだいぶかき消しているな、と感じることが度々あります。話し合いの場でも焦りが勝つと本心の声が聞きづらかったり、全体的にみている視野が狭くて着地してない状態。「焦り」ともう一つは「不安」もこれらは大体セットでついてきます。それらがなぜ話し合いの中で顔を出すのかと、根を探っていくとだいたい社会的常識など外側の見えない圧力エネルギーとの絡み合いなのですが、その漠然としたものの正体は一体なんなのでしょう。

この年齢とキャリアならそろそろこれ、長男だから、長女なら、大学卒業したら即就職、男ならこうしたほうが、女だからなんとなくこうするべきか、などなど。性別や年代、時代背景、いろんな価値観が掛け合わさり、総合したものが常識と言われるものなのでしょうが、それも時代やはたまた国が違ってもあっという間に変わるので、実はあまり当てにならない、不確定なものです。なので「常識」は必要に応じて自分の感覚を一般的に擦り合わせていくための、いわば考えたり答えを出すための比較材料くらいに捉えてみたり、真摯に受け止めすぎないことが大事です。外野のざわめきよりもまず一番に大切なことは、結局「自分がどうしたいか」です。自分の人生なのですから。どちらにせよ、焦る感情を体験するならば、「自分のことわかってなかった!やばい。自分どうしたい?」と自分に言って焦る方がよいかと。

でも、たぶん…それが、分からない。という人が多いのだと思うのです。自分と向き合って考える、ということが習慣化していないと、知らぬ間に「常識さん」や大多数の意見に合わせて、なんとなくこうした方がいいのだろう、そっちに行けば正解があるのだろう、と疑いもせずに突っ走ってしまう。その世間一般の常識の道をなぞったら自分の個性とマッチして幸せ、ならば問題ないのですが、人って本来もっと微細な違いがあって創造性豊かな生き物だから、いつかどこかで、あれ?なんか違う、なんか違和感、あれれ?となって、その違和感が大きくなりすぎると、心や体にも症状として出てしまったり、もしくは鬱屈とした毎日を送ることになるのだと思います。納得いかない日々。なのでその「なんか…?」って感覚はとっても貴重です。その小さな違和感を見逃さないで、考えて自分なりの答えを出す。その考える筋力&精神力筋みたいなものがこれからの時代きっと、もっと重要になってきます。

篠原紙工に興味を抱いてくれる方々、(主に就職希望で)はどこかでそういう自分に対して敏感だったり、違和感を心の奥底では感じられている人もいる気がします。もちろん、入社希望の入り口としては「本づくり」で興味を抱いくというのがほとんどだとは思いますが、ものづくり以外のことで言葉にはできないけれど、自分の内側にある何かと篠原紙工が出しているエネルギーがリンクしてドアをノックしてくれるのではないか、そんな風に私は感じていますし、そこがなんなのかを考えることに価値があると思います。

小さい会社ですが、就職面接や社内面談で相手のお話を聞かせてもらうことで、偉そうですが、もしかして、これが現代の共通する悩みなのかも?と今までよりもより俯瞰の目を持てた気がしています。その気づきに確信があるということは、蓄積されてきた経験を次に移すタイミングだともいえます。常識や世間体だけに捉われずに、自分の本音で生きられる、自律・自立した人をこの世に増やすことが私のやりたいことでもあるので、あとはその手段をどうしようか、この小さなブログの世界も一つ手段ではありますが、あれこれ考え中です。

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