札幌PARCOで展示

新島さんのinstgramのストーリーズで毎朝「はじまりの風 五十嵐威暢のことばのいぶき」の言葉が発信されていて、篠原紙工のアカウントでもシェアしていますが、時折みなさまの目にも入っていますでしょうか。
10月4日〜11月10日、約1か月間、札幌パルコで「A-Z Homage to Takenobu Igarashi」という展示が開催されます。五十嵐さんのデザイナー時代の作品がメインの展示で「はじまりの風」もそこで展示を、とお声がかかり、制作者の新島さんとデザイナーの三橋光太郎さんは設営のために札幌の展示会場へと向かいました。
ご存知の方も多いと思いますが、五十嵐さんは北海道滝川市生まれのデザイナー・彫刻家で今年の2月に80歳で永眠されました。五十嵐さんと関わりがあった方々へ向けてのお別れの会などでは小さな展示は開かれていましたが、一般に広く五十嵐さんの作品を展示するのはご逝去された後で今回が初めてではないかと思います。故郷である北海道の札幌パルコで展示をされているとは、きっと五十嵐さんもどこかで喜んでおられるのではないかと思います。
20代の頃、私にとって渋谷パルコはちょっと特別な存在でした。メインストリームとは違う、音楽、ファッション、アート、書籍などトータルで新しく、独自のセンスを生み出し発信しているという位置付けでした。(パルコブックセンターは特に好きでした)あの立体的なアルファベットの「PARCO」というロゴも五十嵐さんのデザイン。パッと見た感じのインパクトが大きく私の若い頃の記憶のひとつに今でも残っています。
何度かここでも書いたかもですが、私は五十嵐さんの存在を知ったのは5−6年前のこと。新島さんが五十嵐さんのツイッターでのつぶやき名言集を見せてくれるまでは全く存じませんでした。調べていくうちに、日常の中で見たことがあるものを数多くデザインをされていたり、ご自身が50歳を機に彫刻家へ転身されたという人生の流れを知り五十嵐さんの人生像に興味が湧きました。
「はじまりの風」の言葉は、そんな五十嵐さんの人生論、日々をより豊かに、力強く生きていくための哲学が短い言葉となって私たちの背中を押してくれます。生意気なことを書いてしまうのですが、私にとっては「当たり前のことが書いてある」と感じる時も多々あります。ただ、その当たり前を本当に常に実践しているかと己に問いかける時、背筋が正されるのです。
今この文章を書きながら、開いたページには「結局は自分自身による決断と実行しかない」(はじまりの風 p92)。そう、そうなのです。色々あっても最終的には「自分がどうするか」でしか物事は動かないし変わらないし、自分も相手も変わらない。環境が、あの人が、社会が、会社が、時間が、自信が…と自分以外の対象や無いものにフォーカスを当てて色々思うことがあったとしても、最後は「自分」を主語にして、どうするかを決め、行動に移すしかない。この世界は「思う・考える」だけでは弱く、行動がセットでなければ変化は生まれないのです。
カルチャー発信基地の存在のパルコで「はじまりの風」が展示されることで何が起こるのでしょうか。小さいことかもしれませんが、何かが起こるような予感がしてなりません。(これを機に渋谷のパルコでも展示が行われたらいいな)
五十嵐さんの言葉の中の厳しさ、優しさ、ユーモア、展示に訪れた人の心にどのように、何が届くのか。言葉をきっかけに自己対話や物事をいつもよりじっくり考える時間が少しでも生まれたら良いなと思います。きっとその時間は豊かなはずです。